台湾の天才IT大臣として日本でも話題になっているオードリ・タン氏。IQ180の頭脳、中学中退という学歴、そして世界初のトランスジェンダー閣僚。
世界で絶賛されている台湾政府の新型コロナウイルス(武漢肺炎)の拡大防止対策に大きく貢献し、彼女の活躍は日本だけでなく世界中で絶賛されています。
そんな話題沸騰のオードリー・タン氏は一体どんな方なのでしょうか。
目次
オードリー・タン(唐鳳)氏の対応
オードリー・タン氏が、台湾での新型コロナウイルス感染拡大防止のために行った対応を簡単にまとめます。
- 2月6日からマスクの購入を実名制にした
- 全国の薬局にあるマスクの在庫数をネット上に公開
- デマ拡大を防止するためにSNSを通じて注意喚起
- 台湾国内外の感染、死亡者数をデータ化して公開/
私は台湾の高雄市に20年住んでいますが、今回のオードリー・タン氏の素晴らしい対策により、毎週決まった数のマスクを確実に購入する事ができています。
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あれは春節休みがそろそろ終わる1月末のこと・・・。
中国からの情報が早い台湾では、新型コロナウイルスを恐れて、薬局やスーパーからマスクが一瞬で消えました。
その後、政府の対策により、マスクをコンビニやドラッグストアのレジで、1人2枚まで購入できるようになりましたが、店員による買い占めや、別の店舗での重複購入により、1人2枚買えるはずのマスクが公平に行き渡りませんでした。
「1人2枚まで」という曖昧な規則では不正購入が絶えず、ついに2月6日からICチップ内臓の保険証による実名購入という方法が実施され、それによってみんなが公平に購入できるようになりました。
実名制が始まった直後は、薬局に長蛇の列ができ、店舗によってはマスクが売り切れるところもありました。
(2月7日撮影)
しかし実名制にしたことで国民たちに心の余裕ができたのか、健康な若者たちはSNSで「私は大丈夫です。お先にどうぞ」というタグを使い、マスクをいますぐに必要とする人に先に並んでもらおうとする動きも広がりました。
3月5日からは7日間で大人3枚、子供5枚のマスクを購入できるようになっています。
オードリー・タンさんが台湾で注目を浴び出したのは2016年から
私が台湾で初めてオードリー・タン氏をテレビで見たのは2016年。民進党の蔡英文氏が総統に当選した時でした。
当時、強い勢力を持った国民党の総統候補人を民進党の蔡英文氏が破り、台湾での初の女性総統として世界中のメディアで取り上げられました。
そして2016年の10月に、蔡英文政権において「行政院政務委員」(デジタル大臣/IT大臣)に任命されたのがオードリー・タン氏。
当時タン氏は35歳。台湾史上最少年の閣僚就任として話題を呼び、テレビにも多く出演しています。
そのタン氏、実はなんとIQ180の持ち主。さぞかし高学歴のエリートなのかと思いきや、最終学歴はなんと中学中退!
オードリー・タン氏の幼少時代
オードリー・タン氏の幼少期の名前は「唐宗漢」。(2005年に「唐鳳」に改名)
新聞社の副編集長である父と、同じ新聞社のジャーナリストである母の影響もあってか、5歳の時には各国の名作を漢字で読めたといいます。
ちなみに台湾では拼音(アルファベット)ではなく、注音(記号)を用いて漢字の読み方を覚えます。普通は幼稚園で注音、小学1年から漢字を学びます。
天才であるがための苦悩
小学生の頃のオードリー・タン氏は物忘れがひどく、よくハンカチやティッシュを忘れ、先生に体罰を受けていました。
(当時の台湾では教師による体罰は日常茶飯事でした)
学習面では、天才によくある「もっと知りたい」という欲求が抑えられず、算数の授業中には先生に質問攻め。小学1年生で連立方程式を理解していたタン氏は、算数の授業の時は図書室で本を読むことを特別に許されました。
しかし図書館の本を全て読み尽くした後はやることがなくなり、学校に行くのがつまらなくなってしまいました。
先生のアドバイスのもと、「資優班(成績の良い生徒だけを集めたクラス)」を併設する小学校に転校。転校後もやはり天才ぶりを発揮し、優秀な生徒を集めたクラスでも成績は1位。そんな彼女に悲劇が襲います。
小学2年生の時、事件は起こりました。
タン氏の天才ぶりを妬んだクラスメイトが椅子でお腹を攻撃。それがトラウマになり、彼女は学校を休学。その後も学校には行ったり休んだりで、6年間で6つの小学校を転々とします。
最終的に通った小学校では、国立台北師範学院の講師の助言により、週に3回学校に行ってお友達と人間関係を構築、そして残りの3回はその講師のところで「知りたい欲求」を満たすというスタイルになりました。
中学校でも学校になかなか馴染めなかった彼女は14歳の時に学校を中退、その後は家族でドイツ留学に渡りました。
コンピューターとの出会い
オードリー・タン氏が初めてパソコンに興味を持ったのは8歳の時。
数学が好きなタン氏は「Applesoft Basic」という本を手に取ります。英語は分かりませんでしたが、本に書かれた数理に興味を持ち、母親にパソコンを買ってくれるように頼みます。しかしパソコンをゲームの道具だと思っていた母親は頼みを拒絶しました。
またこんなエピソードも。
8歳の時、家族で街をぶらぶらしていたら、教学用のパソコンを発見。タン氏の両親はそれをタン氏の弟に購入したいと考えます。
しかしタン氏は、その教学用パソコンの数学の教え方に納得できず、自分でパソコンを書き換えたいと考えます。それがタン氏のプログラミング勉強の始まりでした。
本を手にしたのが先か、プログラミングへの興味が先かは分かりませんが、これらのエピソードが天才プログラマー誕生のきっかけになったことは確かです。
その後タン氏は独学でプログラミングを学び、9歳の頃にはプログラムを書いていたと言われています。
14歳で中学中退した後、16歳で企業を立ち上げ、その後も天才プログラマーとして様々な場で活躍し、今は台湾のIT大臣として世界中に名を轟かしています。
最後に
最後に、日本で報道されたタン氏の紹介動画をご紹介します。
「デジタル大臣」と名乗るのにこれ以上ふさわしい人はいません。日本の大臣も、それぞれその道の専門家が就任するべきではないかと思う今日このごろです。
おまけ:タン氏へのインタビュー(英語)2019年
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