台湾の旧正月はなぜ赤い?

春聯

台湾の旧正月は旧暦の大晦日から1月5日までの6日間で、その期間は「春節」または「過年」とも呼ばれる正月休みになります。私たちの新暦とは時期がずれるのですが、、目安としては毎年1月中旬から2月中旬のどこかになります。かなり大雑把な目安ですが、旧暦の正月は毎年時期がずれてしまい、誰も把握できないのが現状です。カレンダーの1月と2月をチェックして初めて次の旧正月がいつなのかを知ることができるのです。

例えば2018年は2月15日から20日までが旧正月休みですが、来年の2019年は2月4日が大晦日になります。確か2017年は1月下旬だったと思います。

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年末は街中が赤くなる。

台湾だけでなく、中国や香港などでも、旧正月には赤い飾りを飾る風習があります。日本でも中華街や中華料理店に行くと、この時期は赤色の飾り物が一段と増えているかもしれません。

旧正月の前、つまり年末には街中で赤い飾りが売り出されるのですが、そもそもどうして旧正月に赤い飾りを飾るのでしょうか。その風習はどこから来たのでしょうか。

中国から伝わった昔話がもと。

実は、幼稚園や小学校で必ず聴かされる「年獣」という物語があります。中国から伝わった物語ですが、「干支」のお話と「年獣」のお話は台湾の方なら誰もが知っているのではないでしょうか。

「干支」のお話(干支を決めるレースでネズミが牛の上に乗ってゴールインしたため1位になった。猫にはレースの日をわざと遅らせて伝えたためにレースには不参加。そのため猫は干支にふくまれていない、というお話)は日本でも聞いたことがあるかもしれませんが、「年獣」のお話は日本では聞かないと思います。

実は、旧正月に赤い飾りを飾る風習は、この「年獣」のお話と関係があるんです。今日は日本ではあまり聞かない年獣のお話を、簡単にご紹介したいと思います。年獣のお話は、「桃太郎」や「白雪姫」のように、台湾では誰もが知っている昔話です。私も本を読んだり、ダンナさんの家族にお話を聞いたりして知りました。

「年獣」はこんなお話

年獣の絵
年獣のイメージ画

むかし、中国には「年獣」と呼ばれる怪獣が海にすんでいて、毎年旧正月の大晦日になると陸に上がっては村を襲って村人たちを困らせていた。村人たちは年獣を恐れていたために、大晦日になると年獣がやってこない山奥に逃げて隠れていた。

ある年の大晦日、1人の老人が村にやってきて年獣を追い払う方法を教えてあげようと言ってきた。村人たちは老人のことが信じられず、いつものように山奥へ逃げて隠れ、年が明けるのを待った。

老人は誰もいない村に1人で残り、年怪獣が村にやってくるのを待った。年獣には実は苦手なものがあることを老人は知っていた。何も知らずに村にやってきた年獣は、老人が準備していた年獣の苦手なものー 赤色の布と、室内のキラキラしたもの、そして庭で放たれた爆竹音にひるみ、村から逃げ去っていった。

年が明け、山奥に隠れていた村人たちが村に帰ってきた。村人たちは村が襲われていないこと、老人が年獣を追い払ったことに驚き、そして「おめでとう」と言い合って喜んだ。

だから旧正月は赤い物を飾る。

この「年獣」のお話から、大晦日には門の左、上、右には「春聯」と呼ばれる赤い紙が貼られ、家の中には赤と金の派手な飾り物が飾られるようになったと言われています。そして新年に「おめでとう」と挨拶をするのもこの昔話が始まりだとも言われています。もともとめでたい色が赤ということもあって、年末年始には赤い色のものを飾るというのは受け入れやすい風習として定着していったのではないでしょうか。

旧正月に揃える赤いものは飾りや門の春聯だけではありません。中には「新年には全身赤で!」という方も珍しくなく、ショッピングセンターの衣類売り場では、赤のズボンや靴下だけではなく赤の下着もたくさん売られます。大晦日には全身赤の服の方(年配の方に多い)を見かけるかもしれませんが、それは「赤い服で邪気を追い払い、新しい年を笑って迎えるための風習」なのです。