美濃にある「廣進勝油紙傘工作室」に行ってきました。
美濃は高雄市に属している区で、客家系住民が多く暮らしています。そのため美濃には客家文化を体験できるところがいくつかあり、今回訪れた「廣進勝油紙傘工作室」もその1つです。
台湾に住む人のルーツは大きく分けて2つ。1つは元々台湾に住んでいた原住民(雅美族、泰雅族、卑南族などの先住民)、そしてもう1つは中国大陸から移民してきた漢民族(福佬人、外省人、客家人)。
廣進勝油紙傘工作室
今回訪れたのは「廣進勝油紙傘工作室」。客家の伝統工芸である油紙傘を製作している工房です。
ここでは紙傘を購入できるほか、100元で購入した無地のミニ紙傘に色をつけることができます。
乾かしながら色を塗っていき、最後にスプレーニスを塗ってもらって完成!所要時間はだいたい30分から1時間です。(本人の入れ込み具合によります)
傘を乾かしている間、私たちは工房の中と伝統的な住居である「三合院」という建築物を見学させてもらいました。これは正面の様子です。
ここから歩いて中に入る様子はぜひユーチューブの動画からみていただけたらなと思います。
美濃の紙傘の歴史
美濃の紙傘の歴史は100年ほどになります。
当時「油紙傘」は日常品としてだけでなく、結婚の際の縁起物としても重要なものでした。「油紙」という客家語の発音が「有子」、つまり「子を持つ」を表し、また「傘」という漢字の中に「人」が5つ使われていることから、「油紙傘」は「子孫繁栄」を願うものとして大切にされてきました。
美濃の油紙傘の全盛期は1920年ごろから1960年代。しかしその後、ビニール傘の普及によって紙傘産業は急激に衰退し、数多く存在していた紙傘工場も数軒を残して閉鎖されてしまいました。
絶滅の危機にあった紙傘産業は、ある2つの出来事がきっかけて回復していきます。
1つは英文漢聲という英語の雑誌に美濃の紙傘が紹介されたこと、そしてもう1つはある台湾のテレビドラマの中で美濃の紙傘職人の家族が取り上げられたことです。もちろんこの2つの出来事だけが美濃傘文化を支えたわけではありませんが、美濃の紙傘文化を国を超えて広く伝えるきっかけになったことは確かです。
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